2人姉妹の末っ子に生まれた私は、虚弱体質。声が小さく、自己主張も少ない子供だった。
いっぽう、姉は健康でたくましく、快活なタイプ。自己主張のかたまりみたいな姉は、「お前の物は俺の物」思考(女版ジャイアン)。欲しいと思ったら、他人の物でも奪い取り、泣かせては叱られていた。
そういうわけで姉は、5才下の妹の私に、≪自分を犠牲にして何かを譲る≫なんてことは、まったくなかった。
【お揃いのお土産「ピンク」と「水色」】
対照的な姉妹。そんな私たちに、旅行好きの知人のAさんから、お土産物が届くことがよくあった。
Aさんの思考回路は、きっとこうだ。「小さい女の子だから、やっぱりピンク小物がいいよわね。でも、色が同じだと取り違えるから、色違いにしよう」と。
そして、毎回、私たち姉妹に、決まってピンクと水色のお揃いのお土産物が届くようになった。
姉は、「私、ピンクがいい!」といって、毎回ピンクの小物を先取りした。いくら母が「妹に譲りなさい、お姉ちゃんでしょ!」と叱っても「絶対にピンクがいい、絶対に!」といって聞かなかった。
母は何も言わない私に、「ちょっとは自己主張しなさいよ!ほんとはピンクが欲しいんでしょ?」と言った。私は「どっちでもいい」と答えた。
姉の自己主張が激しいのと、母の「姉からピンクを奪え」”口撃”に、病弱な私は疲れてしまい、途中から「どっちでもいい」ではなく、「水色がいい」と言うようになった。そうすれば、ガミガミ言われることもなく、面倒が起きないから。
虚弱体質なので、争うとすぐ疲れる。だから面倒事はすべて避けるようになっていった。
その後、Aさんからいただくお土産物は、
姉⇒ピンク 私⇒水色
というのが決まりごとになった。
【おそろしい。適当なウソが現実になっていく】
母は、私の好きな色が「水色だ」と信じるようになっていった。いつも姉妹は争うことなく、色違いのお土産物を、スムーズに分け合った。
いつしか、私自身も「自分の好きな色は水色なんだ」と思うようになった。言葉っていうのは恐ろしい。「水色がいい」という適当なウソを繰り返していたら、それが現実になっていたらしい。
母は、私にいつも水色のものを買い与えるようになった。「あなたは水色が好きだから」と口癖のように言った。
そうか、私は水色が好きなんだ・・・。
【自我が芽生えた私のその後】
それから年月が流れて、ある日突然、私の自己主張が始まった。「水色、好きじゃない」と母に言ったときの母の顔を、今でも忘れない。
成長して少し体が丈夫になったので、私は少しだけ、母親に意見できるようになっていた。
「ずっと小さい時から、水色好きって言ってたでしょ?何を今さら・・・」と驚く母親。娘のあまりの一貫性のなさに怒り、あきれていた。
「あなたはずっと確かに、水色のお土産を欲しがってた!」と言い張る母親に、経緯を説明するのがめんどくさくて(ここでもめんどくさがり)、「とにかく、水色はあんまり好きじゃない」とだけ言っておいた。
姉と母は、非常に血の気が多い。すぐに怒るし、怒り方もすさまじいので、とにかく争いごと、モメごとは起こさないようにするのが私の務めだった。
その結果、私は、温和だけど主張が少なく、欲しいものを「欲しい」、好きなものを「好き」と言えない人間になっていった。
いまさら「ピンクが好きだった」なんて言えない。だから、大人になった今、私はこっそりとピンクの小物を集めているのだ。昔叶えられなかったものを、いまさらだけど叶えて、昔の幼い自分を慰めている。
モテ色だとか、セクシーだとか、そんな意味でピンクにハマっているわけではないのだ。
スポンサードリンク