桜のピンクの色彩効果。「目で色をとらえる」ということhanamiものすごく悲しいことが続いて、しかも解決しようのない問題が山積みだった頃。ちょうどサクラが五分咲きだというので、近所のちょっと有名なサクラスポットに足を運びました。

何にもできず、無力で、生きる気力を半ば失いかけていたとき、なぜかとっても「桜を観たい」と思ったんですね。

【くすんだ淡いピンクと、春先の空の薄い青のコントラスト】

後にも先にも、あんなに深く落ち込んだことはありません。失恋したって、受験に失敗したって、試験で7点(これなかなか取れませんよね。完全に黒歴史です)を取ったって、私はいつも「どうにかなる」が口癖で、明るく生きてこられていた。

自分が気づかなかっただけで、それまでの人生がすごく幸福だったんでしょう。

それが、ある日いきなり、もうどうにもならない事態に直面しました。誰にも解決しようのないモノ。いくらあがいても、問題がいい方向に、1ミリも動かない。

自分の存在を根底からおびやかす何かがこの世にあることを初めて知り、絶望しました。

「努力で解決できないものなど、この世にひとつもない」とずっと思っていたのに。今思えば、世間知らずと人生の経験不足による、完全な思い上がりだったわけですが。

母親が「サクラでも観に行こう。ちょうどこれから見ごろだから」と言い、ふだんの私なら母の慰めの言葉に乗ることはほぼなかったんですが、このときばかりは黙って母の車に乗りました。

【着いた山裾の公園は、お花見客でごった返していた】

sakura1自分のことを大嫌いになり、もう自暴自棄で「どうとでもなれ」と思って過ごしてきて、その後、1年ぶりにサクラを観ました。このときは黄砂の影響で、ちょっと黄色がかったくすんだピンクでした。

広がった枝ぶりと、淡いサクラ色、その2つの合間に見えるごく薄い水色の空が、なんだか目に突き刺さるようなコントラストに見えました。

でも、とくに何かを感じたわけではなく、「ああ、サクラだ」と思っただけでした。日暮れまでサクラを見上げながら歩きました。

だんだん声が減り、人影が減り、誰もいなくなったところで、母親が「そろそろ冷えてきたから帰ろう」と言ったので、また車に乗り、帰途につきました。

家に帰って、一人になったとき、猛烈に悲しくなり、相当泣きました。

こんなに泣くのはいつぶりか、というくらいの泣きっぷり。

サクラに慰められたとかそういうのではなく、その日観た薄いピンク色と水色の対比が、目に「色として」だけ、残っていました。

【このときのサクラの光景がいまだに忘れられない】

sakura-skyこの写真は、そのときなんとなく撮ったもの。これを観ると、当時の自分の気持ちが思い出されて、胸が苦しくなります。

人生のうちには、何度か大きく自分を見失いそうになる「危機」が訪れます。きっとこれからも訪れるでしょう。そんなときは、何も考えずにサクラを観にいこうと思っています。

サクラを観ても、何かが変わるワケではありませんが、ただ色を眺めるだけでいいんでしょうね。目が色をとらえて、無意識化に何かを働きかけてくれるみたいです。

sakura2

 


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